2011年4月アーカイブ

2011.0427plate.jpg■次にどう備えるのか…?

国のリスク管理は、どうみても後手後手の感じがしてならないのと、国民に不安を与えてはならない……ってわけで、危機的情報は、必ずしも伝えられていないような気がする。

で、私がこの東日本震災を、富山の氷見で見て、東京に帰れず、翌日東京に向かうなかでずっと思ってたことは、以下のことです。

想定外が起ったわけで、続いて想定外が起るリスクは、どんなものか。考えたくはないが、ますます気になるのでブログアップしておきますね。

1・東日本大震災の最大級余震の位置

東電福島第一原発の直下でM8クラスの余震が起る可能性は、どの程度か……しかも浅い震度で……

するとチェルノブイリ級の危機がくるのか?

2・東海地震か連動か?

東海・東南海・南海の連動地震か、東海地震でM8クラスが来た際の東西分断はどの程度になるか。

ようは東海の日本の大動脈がどう分断されるか。さらにリスキーなのは中電浜岡原発はどうなる?

中電は、駿河湾との間に10~12メートルの砂丘があり、これが津波を防ぐといっていたものの、東電の事故をみた翌週、砂丘と原発との間に12メートル高の防波壁を築くといったが、これはいつできるのか……

政府は、早急に防波壁の完成を指導した話もないから、これも気になる。

■4枚のプレートに浮かぶ日本……1枚が総崩れ状態……あと3枚はどう動く?

日本が4枚のプレートにのっていることは、この地震で、ほとんどの人が理解しはじめているようですね。

このプレートという考え方は、ウェゲナーが1912年に『大陸移動説』を唱え、当初は異端扱いだったが、徐々プレートテクトニクス理論に進化し、いまはこのプレートの衝突、沈み込みが地震の原因であったり、ヒマラヤ山脈が高くなったのは、ユーラシアプレートに別物だったインドプレートがぶつかり徐々に地形を褶曲させながら山脈を形成していった仮説などが有名だ。

日本も、伊豆半島はもともと南方にある島で、フィリピン海プレートにのってきて日本にぶつかったというのが定説になっている。富士山の噴火もそうした動きのひとつでしょうね。

今回の想定外の大地震は、北米プレートが総崩れ状態で変化した。このあとどうなるということで地質学者などは総出で日本各地の小さな地震や地殻変動や火山の状況を注視している情報が飛び交ってくるが、どうなるというより、我々日本に生きている以上、最少リスクにするにはどうするか……私の場合は

1・福島原発直下型M8余震が来ると、即座に東京脱出をする

2・フォッサマグナ(糸魚川~大井川の中央地溝帯)から相模湾にかけてのエリアが動き出す(地震)と関西に拠点を移す。

という行動をしようと考えています。

■まず事務所の引っ越し準備

したがって、もう行動をはじめており、東京の事務所をいまの8階から、地盤のいい場所で低層に引っ越す

これは準備完了、物件も決まり6月には引っ越し決定です

次に万が一の準備と関西方面の顧客拡大を視野に、再び関西に拠点を持つことにし、準備を開始。

なんとか秋くらいには拠点を設置し、万が一には社員と家族も動ける準備を整えます。場合によっては福岡も視野に入れて3拠点に。

東海が分断した場合に備え、各拠点を移動しなくても連携できる状況にする。

これはハイテクがローコストになってきたので、スカイプや電話会議をはじめ、使えるものはいまから使いまくり、分断されてもいろいろ自社対応ができ、お客様にも便利にサービスできるよう考え、危機に際してどう対応するかの準備を整えることにします。

■いやな事を言ってるように聞こえるかもしれませんが……

じつは、私、地震の翌日に東京に帰る道すがら、同行していたスタッフに、「これは関西大震災の死者数どころではないぞ、おそらく2万7、8千は死者が出る…」と言ってたのですが、類推した数字に、あまりに近い。

その後の動きも小冊子に書いたように、人の動きがかなり予測どおり。次の地震ほかについては、私は地質学者ではないので、あたらないことを祈るのですが、ちょっと不気味な感じがするので、ついついブログアップしてしまいました。

はずれることを祈りながら、しかし万が一の準備をすすめています。

 

 

2011.0425西へ大脱出.jpg■西日本への移動が、始まる気配

西日本、それも関西圏、大阪、神戸、京都の不動産が動く気配が多い。また福岡も同様のようだ。

これは私の小冊子「震災後を元気に生きぬこう!」のなかに、震災と原発を心配する富裕層が移動する可能性を示唆しているが、現実にかなり起っているらしい。

不動産の購入、関西や福岡の賃貸物件に居住。さらにはホテル住まい……などで家族を一時的か、または長らく住むかの模様眺めも含めて移動している富裕層は多いらしい。

会社社長のご夫人や恒例のご両親を居住を移転し、その社長は週末に西に移動しているケースなど多々あると聞く。

また、会社ごと移転を決めたところも多く、日本駐在の小さな外資系オフィスは香港やシンガポールに移転を決めたか、3月中に移転してしまったものは多数にのぼる。

日本系の会社でも、西への移転を決めたところもあると、いろいろ聞こえてくる。ことにIT系など、エリアを越えて仕事ができる業態ではなおさらだ。

沖縄は人気かといえば、それは少ないようだ。

沖縄には1771年に石垣島で1万人を超える津波の溺死者の記録があり、沖縄は歴史的にも津波が幾度も襲っている。

■なお残る、チェルノブイリ級の災害の可能性

東電の第一原発の、本当の意味での沈静化には、10年近くかかるだろうし、低温安定(100度以下)状態になるのに数ヶ月を要するわけで、万が一だが、第一原発の直下、かつ震度の浅いところでM(マグニチュード)8クラスの余震があれば、なにが起るかわからない。なにしろ福島原発は、なお核エネルギーを莫大にかかえたままの状態だからだ。

今回のM9の東日本大震災そのものも、万が一の想定外が起った。2004年のスマトラ沖地震(M91)の余震で最大のものは3年後に来たM84という規模だ。これが東電原発の直下型で数年内に来ると、チェルノブイリ並の危険性は充分にある。これが怖いから東京の外国人は70%がいなくなったのだ。

東京にいる以上、これは来ないことを祈るしかない。さらに脱東京対策をとる人が出るのは当然だろう。チェルノブイリ級が起こると、西は名古屋を越えて厳しい環境になる。

もっとも、にわかに現実味を帯びてきたのが江戸時代に2度起っている東海・東南海・南海の連動地震であり、これが発生すると、津波を被るだろう御前崎には中部電力の浜岡原発がある。むしろこちらのほうが危機的な状況を招くかもしれない。原発と遠州灘のあいだには、ちょっと高めの砂丘しかない。東日本大震災発生の翌週、高い堤防を数年内につくると中電は発表したが、もっと早期に建設すべきかもしれない。

われわれも活きるために、いろいろな手を打っておかねばならないだろう。

 

 

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■企画塾の「花」

最近、企画塾を訪問していただくかたをお迎えするのは「花」

最初の写真は、エレベータを降りたエントランスの「花」

今日はバラをベースにしてアレンジしてあります。

で、2枚目のセミナー会場の花は「つつじ」……たぶん……

なにしろ「つつじ」と「さつき」の見分け方は、私はイマイチわかりませんから……時期的に、いま咲いていると「さつき」じゃないのかな……「つつじ」は、5月くらいに満開じゃないかと思うのですが、植物には、ことに花にはイマイチの知識では、いたしかたありません。

■今日はMP講座・第4課題

今日は、MP(マーケティングプランナー)養成特別講座が開催されますが、いま23名が受講中。

皆さんを迎えるのは、この「つつじ」ですね。

おっと……「つつじ」と「さつき」の見分け方がわからない私が、明言はできないですね。植物や花に強い人に聞いてみましょう。

その前にスタッフに聞いてみないと……

まだ早朝……誰も来てませんが……

2011.0423KJflower02.jpg今日は、第4課題で、みなさんの進捗は最終段階。

連休のあと、というよりも人によっては連休の最中ですが、5月7日(土)には成果発表会が開催されます。みなさんの晴れ舞台ということですが、そのころには、満開になっているでしょうね。

楽しみです。

 

で、最後の写真は、事務所サイドのエントランスですが、こちらは「つつじ」……う~ん、「さつき」かも……

 

ま、ともかく皆様を花でお迎えする企画塾でした。

 

 
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■西の明るさ、東の暗さ

20日(水)は朝は博多、昼は大阪、夜は東京……と、1000キロほどJRで移動しました。

もっとも仕事は大阪で「震災後を元気に生き抜こう!」というセミナーと大阪MPの説明会兼JMMOの月例会だったのですが、西から東まで移動して感じるのは「西の明るさ東の暗さ」です。

写真の上は、博多の朝の光景、博多~鹿児島間が震災の翌日12日に全線開通し、改装もされて非常に明るくなっていました。

そして、2番目の写真は、大阪駅のスナップ。

これってなにが撮りたかったかというと、エスカレーターは、もちろんしっかり動いているだけでなく……言いたいことわかりますか?

2010.0420osaka.jpgじつは、エスカレータの手すりに付属する蛍光灯が、すべて点灯して輝いているのですよ。

東京は止まっているエスカレータが多いのにね。

 東京から来た人間には、ちょっとショック。

で、下の写真は、大阪でセミナーを終え、懇親会も終わって品川に到着してみると、案内板の内部光源はすべて消えた新幹線の品川駅の光景です。

3つの写真では、そう明暗はわからないかもしれませんが、品川に下りてみると、まあ実に暗かった。

明るいというのは素晴らしいことですね。

今回の震災は、いろいろなことを教えてくれます。

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2011.0402大震災後.告知01.jpg大震災後の顧問先政策については、こちらへ

高橋憲行の『超』企画ブログ

http://kikaku.takahashikenko.com/






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